2011年東日本大震災

2014年5月18日 (日)

牡鹿コバルトラインの復旧状況

東日本大震災で大きな被害を受けた牡鹿コバルトラインですが、今年のGW前に全線通れるようになりました。

ただ、連休中はさすがに混みそうなので遠慮して、今日(5月18日)行ってきました。

空いている早朝に出発したのですが、高速料金を少し節約しようと仙台港北インターまで一般道で行こうとしたら、苦竹インター入り口で軽自動車が事故を起こしていてR45に入れません。仕方なく利府街道を走って利府中インターから三陸道に入ったのですが、信号待ちとかで結構疲れました。気分的には利府まででこの間の神割崎往復分と同じ位運転した気になりました(苦笑)。

その後は到って順調に進み、女川からコバルトラインに入りました。大原インターまでの北半分は以前から開通していたわけですが、より一層道路が整備されていて、交互通行は皆無、路面もとても綺麗になっていました。結構朝から走りに来ているバイクが多かったので、運転は慎重にした方が良さそうです。

あと、全線開通してから日が浅いのもあってか、日曜朝にしては他県ナンバーの一般車も結構走っていたりしていました。コバルトラインはもちろん公道で、サーキットとかではありませんので、運転を楽しみに来る方は、そのあたり留意が必要です。ブラインドコーナーとか先に何があるか分かりませんし、「流す」感じで楽しむ程度にしていた方がいいと思います。

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大原インターです。ここから先が今回開通した区間です。

さすがに、ガードレールが設置されていなかったり、工事中の場所も多くなってきます。

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ただ、交互通行とか相当多いかと思っていたのですが、1ヶ所(鬼形インター)だけで、舗装もしっかりされているので、走っていて全く支障はありませんでした。

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終点の山鳥駐車場です。ここは震災以降瓦礫置き場になっていましたが、綺麗に片付けられていました。ただ、駐車場は現段階では入れないようです。

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牡鹿オートキャンプ場方面の写真を撮ってみました。 今回はEOS KISS X6iを持っていったのですが、通常撮影だと全く不満がありません。

そして、今回のドライブの第二の目的地、御番所公園です。

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多目的観測所はいつの間にか展望台に変身です。昔、観測所に配備されていたNJP赤道儀やMT-200といった超優秀な機材はどこに行ったのでしょうか(苦笑)。

震災で被害を受けた展望塔も様変わりです。

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シンプルになりましたけど、綺麗でいいですね。地震にも強そう。

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展望塔から北東方向です。金華山瀬戸が見えます。

ちなみに、御番所公園に来たのは、今週末のきりん座流星群を見据え、天体観測地として使えるようになっているかどうかの確認も兼ねてなんですが、駐車場も入れるようになっていたし、特に問題はなさそうです。

ただ、駐車場に照明があるのが気になるところです。結局、夜間に来てみないとはっきりしたことは言えなさそう。

あと、北側が展望塔のある高台になっていて視界が若干遮られるので、きりん座流星群観測については神割崎とか蔵王あたりを使った方が良さそうです。

帰路、途中の鮎川の写真です。

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結構巨大な防波堤を作ってます。湾内が水質悪くならないか心配になります。

帰りはコバルトラインではなく、県道2号線です。こちらも前回来たときより整備が進んで、快適に走れました。コバルトラインよりも海沿いを走るので、これはこれでなかなかお薦めのルートです。

というわけで、コバルトラインの復旧で牡鹿半島の道路に関しては、震災前に近いレベルに戻った感じがします。というか、元々台風とかで交互通行になっていることも多かったし、震災前は路面が相当荒れていたので、そういう面では震災前以上に整備された感じがします。

今回は早朝に走ったので、何も食べないで帰ってきたのですが、復興商店街もあるようだし、昼食を鮎川で食べて、日中のドライブもいいかもしれません。牡鹿半島の観光に関しては着実に復旧が進んでいる感じがします。

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2013年6月23日 (日)

牡鹿コバルトラインの今

牡鹿コバルトラインは爽快なコーナーが続き、個人的には宮城県で最高のワインディングと思っています(蔵王エコーラインはヘアピンカーブが多すぎ)。

東日本大震災で大きな被害を受けて以来、行っていませんでしたが、どこまで復旧したか、走ってくることにしました。

コバルトラインの入り口は女川町にありますが、いきなりこんな看板があります。この看板にあります「小積ICまで」というのはここ1年変わっていないようです。

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路面とか大丈夫かな、と不安になりながら走り出すとすぐに、いきなり道路が崩落している場所があります。

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やはり震災の影響は大きかったようです。
とはいえ、実は小積ICまでの間で大きく崩落していたのはここだけで、あとは交互通行になっていたのが1箇所だけでした。

また、道路自体も全面的に舗装をし直した場所が多く、元々コバルトラインは結構つぎはぎが目立っていたので、全般的にはかえって震災前より路面状況が良くなっていました。ちょっと意外です。

途中、大六天山の展望台です。遠望すると震災前と変わらない風景のはずなのですが・・・。

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ちなみに、ここには以前になかった慰霊碑がありました。東日本大震災のものではなく、2006年のサンマ漁船の座礁事故の慰霊碑です。死者・行方不明16人という痛ましい事故でした。ご冥福をお祈りします。

展望台を過ぎてからも路面状況はなかなか良好でした。バイクも何台か走っていました。それだけ路面が回復したということだと思います。ただ、なにしろ道を忘れているので、結構慎重に走りました。センターラインをオーバーして事故を起こしては大変ですから。

というわけで、小積IC到着です。

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ここからは県道2号線まで行って、海岸沿いに半島先端を目指します。路面自体は県道の方がむしろコバルトラインより良くないという印象です。鮎川から先は結構ダートも多くなっています。

そして、久々の御番所公園です。何年ぶりだろう。展望塔とか完全に撤去されていたのには驚きました。

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画像の手前を見ても舗装に大きな亀裂が入っています。まあ、駐車場に入れるようになっただけでも良かったかもしれません。

コバルトライン終点の山鳥駐車場です。

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瓦礫置き場になっていました。中央の道路標示には「10月26日は原子力の日」と記されています。これを見たときはちょっと複雑な心境になりました。

鮎川です。

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写真中央あたりには以前は観光客用のレストハウスとかあったのですが、津波で流されて更地になっています。津波を逃れた家も結構多いのですが、やはり痛ましいものです。

帰りは県道2号線をひたすら走って渡波へ出ました。総じて、思ったよりも道路の復旧は進んでいる印象ですが、やはり、被災した地域を延々と走ることになるし、アプローチルートの三陸道も今一つ流れが良くないので、震災前のようにドライブルートとして気軽に利用するかはちょっと微妙なところかな、という印象を持ちました。

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2012年12月16日 (日)

宮城県南の観測地の現状

ツイッターの会話の中で、宮城県南の観測地の話題を出したら、「今どうなっているだろう」という思いが強くなって、今日、行ってきました。

まずは亘理町の吉田浜に向かいました。ここは大学に入った頃、よく行っていた観測地です。海岸の堤防の下に車を止めて観測をしていました。

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ある程度は予想していたのですが、海岸まで入れません。遠方に見える堤防も仮設しただけのように見えます。以前は立派な防潮堤があったのですが。

次に、牛橋河口です。ここは自分が就職して少し経ってから、大学の後輩たちの冬のメイン観測地になっていたようです。

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これが入り口です。

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かなり荒れています。手前の道路は震災前は舗装されていたんですが。それにしても、奥のグラウンドは楽天イーグルスが練習に使っていたのでしょうか?

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津波で被災した自動車です。まだ山積みになっていますね。この公園は、駐車場も大きいし、夜間照明も少なく、スペースも大きかったので、かなり条件のいい観測地でしたが、やはり今は厳しいですね。

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年度内には復旧されるとのことですが、今の荒れた状況をみると、ちょっと難しいような気がします。

最後に、山元町山下です。ここは大学後期から震災前まで好んで使っていた観測地です。防潮堤の上に車を乗り入れて、そのまま望遠鏡を出せるのがメリットでした。

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その防潮堤が無残な姿をさらしています。正直ショックでした。

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ここも、海岸までは入れません。防潮提が壊れて、海が見えるようになっています。

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瓦礫の処理施設だと思います。海岸のあちこちに見られました。

というわけで、予想はしていましたが、なかなかショッキングな光景でした。

あと、ちょっと思ったのは、山元町とか亘理町の状況って、意外に報道されていないのではないかということです。

県南の被災地は、平地の結構奥まで津波が来たので、三陸沿岸とはちょっと違った様相を呈していて、防災対策とか復旧対策でも三陸とはまた違った対策が必要な気もしますが、こういう状況はあまり知られていないように見えます。

具体的には、三陸の小さな漁村と違って、適切な防潮堤は減災にある程度有効な気はしますし、避難経路の確保も必要です。避難ルートも長くなるし。あと、広大な海岸沿いの平地をどのようにしていくか(イチゴ畑の復旧とか、ほんの少し動きは見えますが、まだまだ手付かずといっていい状況です。)も大きな課題のような気もします。そういう情報はあまり知らされていないように思いました。

個人的には、被災地に直接足を運ぶと、テレビや新聞報道だけでは見えない部分がいろいろあって、そのあたりが中央や政治家には今一つ見えていないんじゃないかという感想を持ちました。

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2012年7月 2日 (月)

マンション修繕

今日は自宅のマンションのバルコニー修繕立会いということで、お休みを取って家にいます。

昨日ざっと見たときはほとんど被害がなさそうだったのですが、業者さんが入って点検すると、結構ひび割れがあります。というわけで、現在ひび割れにコーキング剤を充填中です。特に、窓枠周りとか、開口部にはひびが入りやすいんだな、と思いました。

まあ、うちの場合、実際問題ほとんど影響がなかったのは幸いですが、それでもマンショントータルとしては結構修繕費用がかかるようです。修繕積み立ては大事です。

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2012年5月20日 (日)

志津川(南三陸町)と陸前高田の状況(2012年5月)

南三陸町にあって、東日本大震災で被災した志津川公立病院の建物が5月21日より解体が始まるということを新聞で読んで、状況を見てきました。

この建物は、5階建ての建物のうち4階まで津波が押し寄せたということですが、現場で見ると、「こんな高いところまで津波が来るの?」と驚かされます。

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病院を海と反対側から写した写真。

志津川地区の被害の大きさは既にあちこちで報道されていますが、町内は一部の鉄筋造りの建物以外は全く更地になっていて、地面にはいまだ細かい瓦礫が沢山埋まっている状況です。海沿いには未処理の瓦礫の大きな山があって、まだまだ復興どころではないという印象でした。

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瓦礫の山。隣の壊れた建物と対比してみると、その量が分かると思います。

震災後一年以上経ったとは思えない惨状です。

このあと、国道45号線を陸前高田に向かいました。気づいたことを少し。

南三陸町では志津川地区と比較してあまり報道されない歌津(伊里前)地区ですが、ここも志津川地区に劣らない惨状で、町が跡形も無くなっていたのには驚きました。

なにより、結構高台にある歌津駅まで津波が押し寄せて破壊されていたのがショックでした。ここに限らず、気仙沼線の被害は本当に酷いです。あちこちで線路が築堤ごと流されているので、JRが言っている軌道上のバス運行を行うだけでも相当な手間がかかるように思えました。

それと比べると、道路の復旧はほぼ終わっていましたが、歌津大橋が流されたため、歌津町内は狭い旧道を迂回せねばならず、日中とかネックになりそうです。

あと、コンビニはほぼ震災前の場所に仮設等で復旧していて、しかもどこも混雑していたのは驚きました。震災前に比べると道路交通量も多めな感じがします。

推測なんですが、震災で地域商店が被災して、その分の需要がコンビニに回ったのかもしれません。店舗が震災前より増えてるチェーンもありましたし、ちょっとふくざつな感じです。

陸前高田ですが、驚くほど志津川と状況が似ています。ほとんど更地になった旧市内と、巨大な瓦礫の山、そして鉄筋造りの建物の残骸。

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陸前高田市のアパートの残骸。この建物も4階まで津波が押し寄せたと思われます。Dsc019422_3


陸前高田市役所。津波の高さは陸前高田、志津川とも同じ位だったようです。

このまちは、祖母が元気だった頃、よく買い物に行ったりしていたので、その街が跡形もなくなっていたのを目の当たりにするとやはりショックです。

ちなみに、町外れでボランティアさんが作業をしていて、テレビカメラが来ていました。この町のボランティアセンターは気仙川を遡った横田地区にあって、私が通ったときには丁度参加の受付をしていたようでした。ここのホームページは比較的参加方法が分かりやすいようなので、参考までに掲載しておきます。

http://rikutaka.ti-da.net/

この二つの町の被害はあまりに大きく、正直復興手法とか見当もつきませんが、どうも最近震災報道も落ち着いて、ともすれば忘れられがちな感じ(というか、原発事故対応と比べると、支援が少ないと思うのは私だけでしょうか?)もするので、現状を記しておきます。

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2012年4月15日 (日)

追波川河口を訪ねて

この冬はとにかく寒く、なかなか車で遠出をしようと思わなかったのですが、ようやく暖かくなったので、ちょっと出かけてきました。

行った先は、石巻市の追波川河口地域です。ここは大河が谷筋を通って直接太平洋に注ぐ景観が好きで、学生時代からよく行っていた場所でした。震災以降初めての訪問です。

R45を飯野川から旧北上町方向に向かう道路はかなり走りやすいのですが、流石に震災の影響で路面がかなり傷んでいました。もっとも、それでも結構な速度で巡航が可能です。

最初に行ったのは、大川小学校です。ここには鎮魂の碑などが建てられ、水やお花が添えられていました。建物自体が震災後1年たっても、当時のままの姿のなのがやはり痛ましいと思います。

ここの裏山を見たのですが、かなり急傾斜で、ほとんど杉林で覆われています。一部が草の斜面になってますが、ここもかなりの急傾斜です。ここを登っていくのはかなり難しいだろうなと思いました。とはいえ、その斜面以外に高いところに行けそうなルートがありません。なかなか難しいところだと思います。

そのあと、R398を対岸に戻り、追波川沿いを河口まで走ったのですが、かなり地盤が沈下したようで、震災前と比べると水面と道路との距離が近くなったような気がします。震災前は河口には海岸とちょっとした堤防との間に砂浜が広がっていたのですが、ほとんど失われ、堤防に直接波が打ち寄せていました。

ここには吉浜小学校があるのですが、3階部分までガラスが破られていて、津波が高かったことをうかがわせました。

旧北上町でいうと、全般に、新北上大橋付近まではかなりの損害で、低地はほとんど更地の状態になっています。そのちょっと上流の橋浦地区は基本的に震災前の状態を維持しているように見えました。多分、ほんのちょっとした高さの違いとかで明暗を分けたのでしょう。

仙台あたりでもそうですが、今回の震災の特徴である、津波被害の有無によるコントラストの残酷さを感じました。

道路状況でいえば、三陸道の無料化は終了しましたが、どこを走っていても日曜日の朝にしては結構車の量が多いなと感じました。仙石線が復旧していないのとか影響しているのでしょうか?

というわけで、朝ちょっと往復してきた感想でした。津波で直接被害を受けた地域はここでも震災直後の惨状がそのまま残っていますが、基本的に現段階だと人も住んでいないので後回しになっているのかもしれません。

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2011年10月 2日 (日)

放射能関係で一番必要な情報は?

さっき、栃木県のツインリンクもてぎでのMotoGP第15戦 日本GPが終わりました。こんなにリタイヤ続出なのは見たことありません。

さて、この日本GPですが、ライダーたちが放射能を恐れて出場ボイコットの動きがあったそうです。そこで、MotoGPの主催者であるFIMが放射線量など調べたそうです。そうしたら、なんと、マドリードでは毎時約0.2マイクロシーベルト、ローマでは毎時約0.3マイクロシーベルトと、もてぎあたりより高い放射線量を示していたそうです。

ちなみに、仙台では毎時約0.1マイクロシーベルト前後なので、これら都市は仙台市より放射線量が高いこととなります。

まあ、海外のバイクのライダーとか、正確な情報がないので「危ないかもしれない」という風評に惑わされるのはある程度仕方ないと思います。(あと、リタイヤ続出なのは、地震の影響でコースコンディションが悪かったんじゃないかなとも思いました。舗装も75%も直したそうですし。そういう意味なら、ライダーたちの懸念も分かるような気もします。)

問題なのは、我々現に日本に住んでいる人も同レベルの情報しか提供されていないことです。

9月30日に南相馬市の一部など「緊急時避難準備区域」の指定が解除されましたが、通常よりも高い放射線量を示していることには変わりありません。「毎時0.5マイクロシーベルトって大丈夫なの?」と不安になるのは人情です。これに対する政府の説明も具体的な裏づけに乏しいので説得力に欠けるのは問題だと思います。

というわけで、今、一番必要な情報は、「どのくらいの放射線量だと影響があるの?」という裏づけのある情報だと思います。これがあれば、避難している人たちの復帰の目安や除染の目安になって、高速道路無料化なんかよりよっぽど大きな復興への役割を果たすと思います。

で、具体的な方法ですが、世界中には天然の放射線量がすでに年間5ミリシーベルト以上の土地も多いわけで、そういうところにも都市はあります。そういう都市を含めて放射線量ごとに段階的にサンプリングして、放射線の影響で発生する病気の発生率を、放射線量の少ない都市の率と比較すれば、放射線量の健康への影響を示す裏づけになると思うんです。

まあ、こういう調査をすると、影響が出ると判断される地域が国内に多かった場合、国の負担が増えるのを恐れて、国は調査をしないのかもしれませんが、国民に安心を提供するという国の役割を果たすために、何らかの形で情報提供はする必要があると思います。

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2011年9月25日 (日)

9月の唐桑・気仙沼

久々の更新です。

9月23日に東京から来た父と、祖母の旧宅とお墓のある気仙沼市唐桑町に行ってきました。

まだまだ復興なんて感じでは全然ありません。仙台の海岸部でいえば、5月位の状況でしょうか。

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まだまだ重機が入っています。同じ集落でも高い場所の家にはほとんど被害がありません。このギャップの大きさが今回の震災の特徴だと思います。

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震災後、1メートル位地盤が沈下し、岸壁が海岸すれすれになっています。結構危険です。中央がここ数年で整備された防潮堤です。津波を防ぐには全く役に立ちませんでしたが、「防潮堤」としてはまさに機能を十全に発揮しているのが皮肉な感じもします。防潮堤となりの道路もかさ上げされています。

あと、今回は父の同級生とか、親戚のいる仮設住宅も回りました。それにしても、気仙沼小近くの仮設住宅には仮設コンビニがあったのには驚きました。

感じたのは、特に住環境の回復の困難さです。高齢者が多いので、また家を建ててもすぐに必要なくなってしまうかもしれない、というジレンマがあるようです。

そういう不安を多くの被災者が持っているのに、行政は全体の復興計画ばかりに目が行っているとの不満もあるようです。都市基盤の回復もこれはこれで大事なので、難しいところですが、バランスが大事なんだと思います。

もうひとつ、親戚宅を回ったときに、河北新報をはじめ各社から発行された、震災を記録した写真集を持っていて、東京に持って帰ってほしいと強く勧められたのが印象に残ってます。

震災後半年経っていますが、まだまだ気仙沼とか唐桑辺りは全然落ち着いていないし、支援の必要も全然減ってません。そういったことをアピールしたいという気持ちだったんだろうな、と思います。

最後に、津波に耐えた唐桑町のシンボル「折石」の写真をアップしておきます。

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震災で大きく傷つきましたが、リアス式海岸の織り成す森と海の美しいコントラストは健在でした。

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